研究倫理
ソウル大の黄禹錫教授の研究成果捏造疑惑(ES細胞論文捏造問題)が決定的になっている。
黄教授の成果は、これまでヒトではおこなわれていなかった体細胞由来クローンを世界で初めて成功させ(2004年2月)、さらに患者の皮膚組織から得た細胞をクローニングして患者ごとにカスタマイズされた胚性幹細胞(ES細胞)を作成した(2005年5月)。ES細胞は個々の組織への分化前の細胞なので、黄教授の研究成果が事実であるのならば、脊髄など既に細胞分裂が止まっている組織の治療も可能となり、医学史上きわめて画期的な発見だ。
しかし、どうやら、この研究成果は捏造であるらしい。事件の経過は、朝鮮日報のニュース特集が詳しい。同サイトを要約すると、韓国文化放送(MBC)のPD手帳というドキュメンタリで、研究材料である卵子提供に関して倫理的に問題があると指摘し、その問題を追う段階で、そもそも研究成果自体が捏造であるのでは?、という疑惑を提起、国内外を巻き込む社会問題となったとか。問題提起をした時点で、黄教授は韓国の英雄となってしまったため、黄教授を批判するMBCへの国民の反発はすさまじく、PD手帳は放送中止(後に復活)、相次ぐスポンサー降板でMBC自体の業績もかなり低下してしまったらしい。
この問題から次の2つのことを感じた。
一つは、MBCの報道について。韓国はライバルであり隣国でもある日本と比較して経済ではかなり追いついてきているものの、科学はまだまだ、の感がある。ノーベル賞の受賞者も自然科学では日本人が9人を数えるのに対し、韓国人の受賞者はまだいない。そして、国情。だからこそ、国を挙げて、黄教授を支援したのだと言われている。政府や企業は陰に陽に黄教授を支援し、彼の研究資金は数十億円になったというのだから凄まじい。それを向こうに回すことを承知で、疑惑追及の番組を放映し続けたMBCの姿勢は素晴らしい、と思う。朝鮮日報の記事を読むと、取材段階でかなりの問題を起こしているが、それを差し引いても、だ。
しかし、このMBC、上でも書いたが、国民の猛烈な反発にあっており、かなりの損害を被っている。もし、仮にMBCが事なかれ主義を採り、疑惑記事を取り上げなかったとしよう。そうならば、黄教授もMBCも国民も皆、今はハッピーだったかもしれない。サイエンスやネイチャーも黄教授の疑惑には気づかなかったのだから。しかし、取り上げないことは、科学の発展に大きな禍根を残し、長期的には、少なくとも国民は不幸になるだろう。そういう観点からかどうかはわからないが、MBCの姿勢に僕らは感謝しなければならない、と思う。そして、加えて、次に、このような問題が発生したとき、僕らは決してジャーナリズムに対して冷たい視線を注いではならないと思う。そのことは真相追究の妨げになるだけなのだから。これは、第三者である自分に対しての教訓。
そして、もう一つは、研究者の倫理について。今回の黄教授自身は論外だとしても、論文のLast Authorになっていた米ピッツバーグ大のジェラルド・シャッテン教授も倫理的に問題あり、と思う。自分が著者となるからには責任を持たねばならない。疑惑が表面化してから撤回して欲しい、というのは、あまりにも恥ずかしいこと。ましてや、黄教授全盛の時代には、多額の研究費を黄教授に要求していた、というのだから、言語道断だ。幸いにも、ピッツバーグ大では、シャッテン教授の言い訳を認めず、調査するとのことだが、調査するからには徹底的に調査して欲しい。
研究者の倫理と言えば、一般には、今回の黄教授のような研究成果の捏造が話題となる。最近では、東大の多比良和誠教授(産総研のセンター長も兼務)が発表した「RNAによってガン遺伝子が抑制できる」という研究に関する疑惑(これはまだ疑惑の段階だが)、あるいは、少し前では、阪大の下村伊一郎教授研究室の「PTENという酵素によって肥満を抑制できた」という研究における捏造がある。今、ネットを巡回したら、後者に関しては、君島氏による誰でもわかる最新医学ニュース!に詳しい解説がある。いずれも生物学だったり化学だったり、実験系ではない研究者にはあまり関係ない話題かもしれない。
しかし、シャッテン教授のような倫理違反なら、実験系ではない研究者でも十分起こりうる。たとえば、先日、ミサワ化学が販売するアガリクスがガンによく効くと宣伝した本が、実は体験談は架空だったとされて、執筆者が薬事法違反で書類送検されたが、同時に、本の監修者である東海大の師岡孝次名誉教授も書類送検されている。師岡名誉教授の場合、シャッテン教授のような功名心はおそらくなかっただろうが、よく確認せずに、世の中に嘘を広めた、という点では、やはり責任は重いだろう。博士号を取り、研究者になれば、特定の分野ではかなり著名な存在になることもあるだろう。そうすると、論文の共著者や本の監修者になって欲しい、という依頼も出てくるかもしれない。そのときに、責任が持てなければ、はっきり断る、という勇気は、当たり前のことだけど、必要だ。これは、研究者である自分に対しての教訓。
倫理を忘れることなく、研究成果を社会に広めていきたいものだ。
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