追悼
尊敬している恩人が急逝した。火曜日の未明に。
せめて何かできないか、と思い、金曜日の通夜、土曜日の告別式に参列するだけではなく、両日とも現役社員に混じってお手伝いをしてきた。
非常に稚拙だとは分かってはいるけれども、時間が戻ってくれないだろうかな、と思ってしまう。
大学4年の時、バイトを探そうとしたら塾講師を立て続けに2つ落とされて、実は次善で入ったバイト先。当時はWindows95が普及しつつある頃で(Windows 3.1とかWindows NT 3.1が普通に出回っていた)、まだまだ情報系のバイトも少なく、俺でもできそうかな、と掲示板を見て応募。
お仕事は、パソコンのサポートとプログラミング。小さな会社だった。社員は代表(社長)だけ。後は学生バイトが数人いるだけ。
多分普通のパソコンサポート会社ならば、おそらく俺はそこでパソコンのトラブル対処スキルとプログラミングの技術だけを習得して、そして、バイト先を離れたかもしれない。
……でも、違った。もちろんバイト先でVBAを覚えたし、マシンが起動しないとかインターネットに接続できないとかはたまたいろんなトラブル対処方法も、普通に過ごしていたら身につかないほど、いろいろと覚えた。でも、一番身に付いたのは、コミュニケーション能力。コミュニケーションがとれないパソコンおたくが真っ当な人間に育て上げられたのだから。
4年生を終わって、M1とかM2とか。もしくはDに入ってから。俺はD3までそのバイトを続けたが、会う人皆に(いい方向に)変わった、と言われた。友人も知人も増えて、以前よりはるかに活発になり、そのおかげで、いろんな道が開けた。D取得後、就職もきちんとできて(もちろん指導教官の後押しが大きいけど)、そして今仕事やっていても人に恵まれ、いろんな面白い話がたくさん来る。もし、4年生の時のあのままの性格ならば、ほとんどの人が俺と一緒に仕事したいなんて思わないだろう。
バイト先で何をやったか? 多少の段階を踏んだけど、数ヶ月すると、ひとりでいろんな所に出向いては、パソコントラブルをサポートした。行ってから初めて症状が分かるから、直らないかもしれないという恐怖感がある。実際、客先から会社に電話したり。時間がかかることもある。でも、会社は時間で料金をいただくシステムになっているので、仮に直らなくても何とかお客様に納得していただいて、料金をもらってくる必要がある。如何にお客様に納得していただくか、うまく説明しないとならない。どういうふうにすれば納得していただけるか。1年もすると、今度は営業も始めた。飛び込みの営業。さすがに営業はあまり多くなかったが、特定のお客様には特定のバイトを付けるように代表が工夫していたので、そのうちに常連のお客様の信頼を獲得するようになり、そしてトラブル対処にとどまらず、プログラム開発などの新しい案件を受注するようになっていった。
正直、こんな経験はただ学生生活を送っていたらできなかったと思う。一方で、そういった経験がしたいと思っても学生だけではとてもできなかっただろう。代表がそういう仕事を学生バイトごときに任せ、かつ学生バイトがうまくいかなかったときに絶妙のフォローをお客様に対してしてくれたからこそ、できたのだと思う。
そして、成長した僕らは自負を持って仕事をするようになった。スキルだけではなくコミュニケーション能力もはるかに上がっていた。自分たちをバイトだから……できなくてもよい、なんて思うことは決してなかった。そもそも代表は僕らをバイトとは決して呼ばなかった。始めからスタッフと呼ぶようにしていた。
卒業した後も、OBはちょくちょく会社に遊びに行ったし、また自分の後輩が同じように成長していくのを見ていると嬉しく思った。また僕らの頃は吹けば飛ぶような会社だったけれども、常勤社員も登場して、会社も大きくなりかけていた。先が楽しみだった。
そんな矢先、代表が52歳の若さで急逝。
水曜日の夜に久しぶりに飲もう、って約束をしていたばかりなのに。代表自身も久しぶりだったので楽しみにしていたと聞く。
そして、何よりもまだ何も代表には恩返しできていないのに。
非常に残念に思う。心から冥福をお祈りする。
2007/02/27 01:49:48
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