ガイアの復讐 (その2)

このところ、大作を読んでいたので、こちらまで手が回らず。前回から大分間が空いてもた。

前回は序文しか読み終わっていなかったけど、今回は一応本編(?)に相当する第1章まで読んでみた。

第1章で感想を述べるのも何だけど、ここまでは正直微妙な本かな、といった感じ。

おそらくLovelockは第1章を通じて言いたいのは、

  1. ガイアとして地球を考えると、どういう構造になっているのか?
  2. 持続可能な撤退が必要(持続可能な開発ではない)
  3. 今使用すべき特効薬は原子力

こんなところか?

一番目は問題ないだろう。そういう風にとらえるのがガイア理論(ガイア仮説?)なのだから。この本の核心。

問題は二番目と三番目。正直言っていることは分かるし、自分自身もそう思う。「持続可能な開発」というのは、

「持続可能な開発」と聞くと、、私は国際科学会議の上級顧問ギスバート・グレイサーが下した定義を思い出す。彼は地球圏・生物圏国際共同研究計画(IBGP)の会報に寄稿した論説のなかで、「持続可能な開発は可動的な目標だ。現代および後世の人々のために、社会福祉、経済繁栄、環境保護という三本柱のバランスを取り一体化する取り組みを継続的に行っていく必要がある」と述べた。

と、この本でも引用されている(p.38)が、これは妥協の産物ほかならない。人類の基盤を考えた場合、まず地球が維持され続けることが絶対の条件で、その上で、社会とか経済とか、あるいは人類への環境影響が出てくるはず。どう考えても絶対の条件が最優先のはずなのに、「持続可能な開発」のキーワードには、その次に来る「社会・経済・環境」といった為政者(のみならず多くの人々)にとって耳障りのよい言葉しか出てこない。おかしい。そもそも単にサステナビリティとはならず「持続可能な開発」となったのは、貧困にあえぎ開発を優先したい途上国の意見を踏まえたためと聞く(ただし人づてに聞いた話、ソース未確認)。そういう点では、今の「持続可能な開発」のあり方は俺は間違っていると思うし、この点ではLovelockに賛成する。

また、原子力(とCCS=carbon capture & storage)が繋ぎのエネルギーとして極めて有効であるのは、俺のみならずエネルギーシステム分野ではほぼ常識だろう(公衆受容性を無視した議論だが)。

でも、「持続可能な撤退」とか「原子力」とかは今の環境トレンドでは決して主流の意見ではない。専門分野の論文ならともかく、一般人が読む書籍でそういうことを訴えるのならば、そう述べる確固とした根拠を始めからきちんと提示していく必要があるのではなかろうか。少なくとも科学者を名乗る以上、それは絶対に必要なはず。にもかかわらず、第1章では、根拠を書かずに危機感を煽るばかりで、建設的な議論が全くなかった。かなり残念。

第2章以降でそれが払拭されることを期待したい。

2007/02/27 01:13:16

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このページは、NGEが2007年2月27日 01:12に書いたブログ記事です。

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